March 29, 2006

イサム・ノグチと森正洋4

イサム・ノグチ展ポスター

森正洋の最後となった入院中、ちょうど東京都現代美術館で「イサムノグチ展」をやっていたのでよけいイサムノグチの話しをしていたのかもしれません。
最初の手術がすんでハイケア病棟にいた時に、東京から持ち帰ったその展覧会の図録とポスターをちょっとだけ見せることができました。うんうんとうなずいて後で見ようと言ったのでそのまま車に積んでおきました。一般病棟個室へ移った最初のことばが、「あのポスターその壁がいいな。」でした。しっかり覚えていて、どこにはるかなど考えていたようです。全てがそうのようにいつもいろんなことを頭の中において、どうすれば一番いい状態で使えるかとか、その人にとって何が一番いいのかとかいろんなことを考えることで頭の中はいっぱいだったようです。

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March 23, 2006

イサム・ノグチと森正洋3

ニューヨークでの食事と雲の上の会話

1961年ニューヨークでの食事の時を思い出しながら、森正洋は「雲の上の人たちの話しは、興味があったなー。でもなにか禅問答だったように記憶している。」と話していました。その時の食器については「猪熊さんに丹下さんがプレゼントしたものらしい、情報はみんな早く伝わっているのを実感したね。」言い、またそのときのイサムノグチの印象を「気さくな人だった。」と話していました。死後人を神格化してしまってはいけないとも言っていまして、そのことばはすごくわたしには大きくひびき、忘れてはいけないと思っています。
偉大な死んでしまった森正洋のことを、稚拙な文章でも多くの人に伝えたいと思います。その人にとって偉大な人をなくしたときの、またその後の心境をいろんな人たちに聞いてみたいと思います。

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March 15, 2006

イサム・ノグチと森正洋2

イサム・ノグチのパリ留学は森正洋の生まれた年

1927年、イサム・ノグチはパリに留学します。森正洋が生まれた年です。それから34年後偶然にもこの二人が出会うことになります。
しかしその後はなにも直接の接触はありません。
「イサム・ノグチ―宿命の越境者」ドウス昌代さん著2000年講談社発行の本に寄れば、その少し前1959年ころはニューヨークは空前の日本ブームだったそうです。そのころ猪熊弦一郎のアパートはイサムノグチのニューヨークでの定宿だったとありますが、その2年後はニューヨークにもアトリエをもっていたかもしれません。丹下健三さんも交流があったと書いてあります。
そのとき、当時のイサムノグチといっしょに仕事をしていた庭師は、佐野藤右衛門さんのようです。若い庭師とは言っていなかったので年配の人かと勝手に考えていましたが、森正洋より二つ三つ若いことになります。

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March 11, 2006

イサム・ノグチと森正洋1

イサム・ノグチと森正洋ニューヨークで

1961年森正洋はある方の援助を得て、ロサンゼルスからメキシコ・ニューヨークと旅をしています。その後ヨーロッパを回って帰ってきました。
その間にいろんな人との出会いをしています。ニューヨークのJETROの事務所での話し。「写真では見てこちらは知っている男性から声をかけられた。明日の夜わたしのアパートにご飯を食べに来ないかと。有名な芸術家が偶然なぜそこにいたのかわからないが、社交辞令か?事務所の職員に聞いたけど、そうではないらしい。わたしのことを知っているのだろうか?教えられた場所へ行って食事をごちそうになったが、そのとき謎が解けた。1960年にデザインした錆千筋のシリーズがそのときもう食卓に並んでいたんだ。」その当時ニューヨークに猪熊弦一郎が住んでいました、そこに招待された夕食のこと。
そのときいっしょに食事をしたのが、イサム・ノグチだったそうです。

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