January 26, 2006

G型しょうゆさし2.

1.しょうゆさし
1-2 森正洋デザインの商品には「なになに型」という商品名が多いが?といつも聞かれます。それは、同時期に多くのモノをいっぺんに作ってしまうバイタリティーの象徴といえるようです。
1987年の一連の「しょうゆさし」はなんともです。「集中力・持続力」は並大抵ではありません。
やはり最初に「なになに型」で登場するのが「G型しょうゆさし」です。それは後の「なになに型」とは意味合いが違います。形からの連想などとは違うからです。

1-3 なぜG型?森正洋の考えや頭の中は複雑ではなくモノの形のようにシンプルです。1961年森正洋は通産省のGマーク選定があることを知り、初めて応募したのがこの「G型しょうゆさし」です。そうです「Gマーク」の「G」なのです。


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G型しょうゆさし1.

1.しょうゆさし


1-1.森正洋デザインの中でみなさんが知っているものが「G型しょうゆさし」(白山陶器)これは1957年頃のデザインで発売は1958年です。以来生産が途絶えることなく現在にいたっているロングライフ商品です。今回はG型しょうゆさしについていろいろお話ししましょう。このこれ以前に4つの形が登場しています。そのうちの早い時期のひとつとG型しょうゆさしといっしょに日本デザインコミッティー審査を受けた2つはこのG型しょうゆさしに深い関係がありますから、ついでに取り上げてみます。
その前に松屋デザインコーナーの話をしないといけません。実はこのデザインコーナー(現在は松屋デザインコレクション)はなんと昨年で50周年です。その記念の行事が行われます。詳しくは松屋のホームページをご覧ください。
日本デザインコミッティーをご存じですか?1950年に勝見勝や柳宗理、岡本太郎などなどをメンバーとして発足したこの会は、戦後のデザイン運動の中心として活躍しました。その中でもデザインコーナーで展示販売される商品は人々に大きな影響を与えました。森正洋も多くの作品の発表をここでしてきました。
・しょうゆさしの話に戻ります。コミッティーのメンバーは街で見つけたさまざまなものをコミッティーの会合に持ち込み皆さんで審査をするそうです。その審査に合格したものがデザインコーナーで販売されます。森正洋のしょうゆさしをここへ持ち込んだのは当時メンバーだった岡本太郎さんだそうです。それは森正洋が長崎県窯業指導所(現長崎県窯業技術センター)で試作したものを浅草のデパートで展示してあったものを見て手に入れ審査会に持ち込み、改良の指示がきたそうです。そこで森正洋は指示をされたものの改良版と新たに作ったものを持って上京しました。審査の前に仲間のデザイナーたちに見てもらい評価を聞きました。彼らは形のおもしろさから不安定な注ぎにくいほうを選んだそうですが、本人は後に「G型しょうゆさし」と呼ぶようになった方に評価が下る自信があったそうです。
そのときの審査では予想通りそのしょうゆさし(後に「G型しょうゆさし」)は審査を通過し銀座松屋のデザインコーナーに晴れて展示販売されることになりました。1958年の秋のことです。これが森正洋デザインの本格デビュー第一作となります。その後1960年までに様々な食器を発表します。それらの集まり全体に対して日本デザインコミッティーから森正洋に対し「第一回グッドデザイン賞」が与えられました。この「G型しょうゆさし」の印象があまりに強いためこの「第一回グッドデザイン賞」はこの「G型しょうゆさし」に与えられたと多くの方が思われているようです。このときの賞金を使い一連の作品を紹介したパンフレットが作成されました。そのパンフレットのデザインはなんと亀倉雄策さんです。赤い表紙の横長変形B6版です。写真はもちろんモノクロでした。いずれ紹介したいと思います。
発表後その「G型しょうゆさし」に対しての評価は高く、のちに登場する醤油差しの原型となりました。それまでにこれこそが醤油差しという形がなかったことと、その良さを認めて?みんながそのコピーを作りました。粗悪なコピーからまるでそっくりの優秀なコピーまでそれは半世紀もたとうとする現在でも変わりません。最大量のコピーが出回ったのが2002年の中国製です。有名な百円ショップで売られ相当量が販売された後、抗議を受け良心的な売り場は残ったものを回収し数万個を廃棄処分にしました。大きな出来事でした。その後も「業界の教育のために」と発見次第、それらのコピー商品に対しては厳格に対応することにしています。
つづく


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もりせいようと呼ぶ?続1

「もりせいよう」と呼ぶ?の話を何回かした。「やなぎそうり」が定着してしまった、そのことを話しながら「もりせいよう」に変えますか?と問うたことがある。
いつもは阿川弘之より瞬間湯沸かし器だと思っていた森正洋が即答を躊躇した。一瞬の後「やめておこう」と言った。
親・家族・信仰を大切にした森正洋でした。多くの人々のことや世の中のことを考え続けた人でした。

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